【振り返り】行政の思考を知り反省☆

ブログへの訪問をありがとうございます!

あっという間に12月が来てしまいました。

年末ということで、お仕事はもちろん忘年会などお忙しい方はたくさんおれると思いますが、私にとって師走はひたすら振り返りと来年の行動を考える月になります。

そんなわけで、今回は、『行政哲学から行政の思考回路を学ぶ』なんていう、面倒くさいことに取り組んでいましたので、ここに書かせていただきます(議員の役割は提案までしかできないため事業化する行政の思考を知らないと提案が通らないと思ったため、改めて学んでみました)。

※アイキャッチ画像は東京都の地図です。

 

【前談】

なぁんてサラッと書きましたが、これ、実はめちゃめちゃ大変でした。

何が大変って、諸外国の文献はあるのですが日本の文献は少ないこと、そして、批判攻撃的や対立構造としてでなく粛々と行政の思考を書いてくれている書籍はほとんどなかったからです(うっかりマックス・ウェーバーやハンナ・アーレント関連の資料とかを読み出しちゃったりして迷子になりました!)。

特に、地方自治の形が大きく変わったのが2000年なため、あまり古い形のものを読んでも参考にならず、途中まで読んでは「あ・・・これ違う」という資料が多くて泣きました。

そんな中、一番参考にさせていただいたのは日本総研さんの「今後の行政組織のあり方を考える」と今年3月に出た報告書「行政官のマネジメント能力向上に資するスキルの検討報告書」です。

書籍で言うと、中野剛志さんの書かれた「政策の哲学」が勉強になりました。

参考文献からさらに理解を深めたりしながら、いわゆる行政という組織を知り、それを踏まえて私なりに解釈したことを書き連ねますので、けっしてこれが正解だとは思わずに「加藤、またおかしなことを深堀りしてるよ」くらいの、生暖かい気持ちでお読みいただけたら幸いです。

※ワタクシは何かを提案する時、先方のお作法や思考(ルール)を知るのは最重要と考えています。

 

【行政哲学とは】

行政の思考について調べ出した時、まず、知りたかったのは行政哲学です。

行政哲学=「行政は、なぜ・どこまで・どのように人々に関与してよいのか」を説明するための思想体系

もう少し分解すると、行政は常に次の3点を自問(あるいは暗黙に前提)しています。

1.なぜ介入してよいのか(正当性)

2.どこまで介入してよいのか(限界)

3.どういう手段で介入すべきか(方法)

これに答えるために、行政は「哲学」を必要とします(制度・慣行・法解釈の中に哲学が埋め込まれている、という解釈)。

※ちなみに、日本の行政哲学の主流は「穏健なパターナリズム(父権主義)」だと言われています。

 

【行政の思考回路】

上記を踏まえ、行政は『社会には、必ず外部不経済(放置すると他人に害が及ぶ問題)がある』ということを理解しています。

社会を完全放任は結果として弱者の自由を奪うため、「自由を守るために、どこまで不自由を強いてよいか」という逆転した問いで動いています。

例えば、生活困窮という課題にについて考える時『それは自由意志か構造的制約か?』を考えたり、孤独孤立を考える時『それは自己選択か社会的失敗か』を考えながら検討し、自由を守るためにどう支援(制約)するか?そもそも本当に支援が必要とされているか?について考えます。

 

また同時に、行政は「自己責任は原則として採用しない」という思考があります。

これは私も驚いたのですが、理由を知って納得しました。

自己責任を採用しないロジックとしてはこんな感じです。

自己責任を認める → 公的介入の正当性が失われる / 税支出の説明が不可能になる

そのため行政は、個人の選択ミス(自己責任)を次のように世界を読み替えます(以下、例を挙げます)。

市民の状態 = 行政的解釈

働いていない = 労働市場の失敗

孤立している = 社会的排除

支援を拒否 = 支援の未到達

これらの例に共通しているのは、「介入を可能にするための理論武装」です。

 

ほか、これは私の考えとも一致しているため非常にすんなり理解できたのですが、「関係性への介入は最終手段」というものがあります。

行政の本音としては、個々人の関係性や価値観に介入したくない、私的領域を荒らしたくないという思考がありますが、以下の条件が揃うと介入せざるを得なくなります。

行政による介入が正当化される条件(行政哲学的)

放置すると回復不可能になる、本人の意思確認が困難、家族・民間や市場が機能していない結果、行政に責任が帰属する場合

例としては、高齢者の孤立死、虐待、災害時要配慮者、などが挙げられます。

ここを読んで理解したことは、「行政が支援や事業を提供するのは善意ではなく、統計上のリスク回避である」ということがわかりました(ここは私にとって大きな学びです)。

 

【振り返って考えてみた(反省)】

ここで面白いなと感じたのは、現在、私は4つの事業提案を出しているのですが、いずれも行政にとっては、ある意味、真正面から衝突している可能性があるということです(4つの提案は後日記載します)。

提案内容の妥当性はともかく、伝え方が正しくなかったため話が通らなかったことに気づき、関わっていただいた各所管の課長さんには大変申し訳ないことをしたと反省しています(嫌な顔をせず付き合ってくださった課長さんには感謝しかない)。

どこが間違っていたかというと、現状、私の出している提案の大半は所管をまたぐ事案なため「責任の所在が消えやすい」ものであるため、これは、行政組織の最大の行動原理である責任の帰属を明確化できないものであり、同時に、関わる所管が調整リスクだけ負いリターンは他所管にもっていかれるという、制度に忠実な組織としては制度のルールに則っていないものに「イイネ」とは言いにくい部分があったのだと反省しました。

また、「決裁経路が不明瞭」ということもあり、組織として処理しにくい案件であったということに気づきました(提案した職員が矢面に立つリスクがある)。

ほか、私自身が無所属であることから「これは個人の問題提議なのか?組織の問題提議なのか?」が判別しにくかったのではないかという反省があります。

まとめると、私自身の提案と行政の処理単位(制度上、所管別、事後対応、定量化可能法令や要綱ベースでの事業設計)がかみ合っていなかったわけです。

そのため、理解はしてもらえても実行はされないという結果に陥っていることがわかりました。

※私の関わった範囲での話ですが、江東区職員の方々は、皆さんどんな意見も前向きに捉え、その上で区民にとって最適解を模索しながら意見をくださいます。

これは、とてもありがたいことで、江東区で活動ができることを嬉しく感じています。

 

【じゃどうする?】

では、行政の思考と反省を踏まえてどうしたらよいかについて考えてみました。

行政が理屈として動かざるを得なくなるのは、主に下記の4点が満たされた場合だということを知りました。

1.正当性(法的正当性、民主的正当性、行政合理性)

2.責任の所在

3.処理可能性(実行できるかではなく処理できるかの視点)

4.不作為のリスク(やらないことがリスクになるという認識)

この4つを踏まえた上で、事業の提案内容だけでなく、行政が『行政が処理するべき問題』と認識してもらうよう働きかけることが重要なのだということに気づきました。

行政は善意で動くのではなく、責任回避(と明確化)で動くということですね。

裏を返せば、①行政合理性に基づく課題提案②主幹課の仮指定(責任)③既存制度への接続(処理)④やらない場合の説明困難性(リスク)を満たせば、行政は聞く耳を持ってくれるということがわかりました。

 

そんなこんなで、12月のしょっぱなから、久しぶりに更新したと思ったらダメ出しになってしまいましたが、日々、こんなことばかりを考えているワタクシは、暇人なのか何なのかわかりませんが、こうしてブログを書きながら1つ、素敵なフレーズを思いつきました。

「これは新規施策ではなく、既存施策の“空白”を埋めるものです」

願わくば、この言葉を忘れずに来年も懲りずに事業提案したいものです。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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