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昨夜は、とある活動の賀詞交歓会に参加しました。
そこで、ある業界団体に所属している方と話をしたのですが、『年々、団体の存続が難しくなっている』という話を聞きました。
同時に、私がその方と知り合ったきっかけとなったイベントの担い手も『とても意味のある活動なのに、年々担い手は減っているよねー』という話になりました。
業界団体や職能団体、そして地域で活動する団体や組織など、いわゆる何かを守るために存在する団体が弱まっている件に関しては今までも何度も書いていますが、昨日の話を受け、改めて『なぜ様々な団体の担い手が減ったのか?』『これからどうするのが良いのか?』について考えながら書いてみたいと思います。
ちなみに、私の整理としては、団体の担い手が疲弊し、今の形で続けることが当人たちにとって負担になっているようであれば、『どういう形であれば持続可能か』という観点から現状の設計を見直す選択肢も考えるのではないかと感じています。
同時に、私の捉え方では、多くの場合、団体は何かの役割を果たすためにつくられるものであり、その性質を踏まえると、役割の達成に立脚した設計として理解する余地もあると思います。
では、行ってみよー☆
【なぜ団体に入る人が減ったのか?】
“なぜ団体に入る人が減ったのか?”について結論から書くと、私の解釈は『選択の合理性が変わったから』です。
かつての職能団体・業界団体・町会自治会は、生存と生活のためのインフラでした。
・情報は閉じていた(業界情報・行政情報・地域情報)
・相互扶助がなければ生活が不安定だった
・行政の手は今よりも圧倒的に届かなかった
・トラブル対応・交渉は「集団」でなければ不可能だった
つまり、団体に属すること=合理的選択だったわけです。
しかし現在は、
・情報は個人で直接取得できる(ネット・SNS・行政HP)
・行政サービスは制度化・画一化され、個人申請が可能
・民間サービスが相互扶助の代替を担う
・クレーム・要望は個人で直接出せる
この結果、現時点の制度・インフラ状況を考えると、団体の機能の一部は、個人が制度やネットなどで代替できる側面も出てきています。
ここが最初の大きな転換点です。
それにより、人の行動も『選択の合理性』を考え変化します。
よく言われる『主体性が低下した』ではなく、『主体性を発揮する対象が変わった』といった方がよいのかもしれません。
今の社会は、こんな形になっていると思います。
団体活動 → 成果が見えにくい、評価されない(そもそも評価基準があいまい)
自己投資(仕事・家庭・趣味・SNS)→ 成果が見えやすい、承認されやすい
この状況で合理的に考えれば、同じ時間と労力を使うなら自分にリターンが返ってくる方を選ぶのは極めて自然な判断です。
特に現代は、将来不安が個人に押し付けられており、老後・病気・教育・キャリアの責任が個人化(自己責任か)されたり、『誰かのために動いた結果、損をする』経験が可視化されすぎた背景があります。
この状況で“無償・長期・責任だけ重い団体運営”に手を挙げる人は、利他的なのではなく、相当な覚悟か余裕を持つ人に限られてしまう。
いわゆる善意が減ったとかそういう話ではなく、『(善意や他者を慮る気持ちは昔と変わらないけど)自分ファーストにしないと生きていけない社会になってた』というのが現実ではないでしょうか。
同時に、もう一つ悩ましい状況が“フリーライドが成立してしまう構造”です。
団体に入っていなくても成果だけは享受できる。
この状況が、より自分優先になってしまうのではないかと感じています。
防災:行政が最低限やってくれる
治安:警察がいる
行政要望:個人でも出せる
行事:やりたい人が勝手にやってくれる
結果、『誰かがやってくれるなら、やらなくていい』し『誰かに頼んでも恩恵は自分も享受できるなら、自分は時間と労力を割く必要はない』という合理性が成立するわけです。
社会の中では、一人ひとりの立場や負担が異なるため、短期的な選択肢として『他に任せる方が合理的に感じられる』場面もあると感じています。
日常を支えてくれている団体や組織がなくなっても、自分は消耗しないし生活はすぐに困らない。
そもそも団体や組織が担っている役割や弱体化している状況を知らない。
だから、団体がなくなった後の社会を想像する力が働きにくいし、そこに関心を向けるということ自体が起きないわけです。
しかし、現在役割を担ってくれている『誰か』に想いを馳せる想像力が低下すると、『誰か』の負担は大きくなる一方だということも理解してほしいと思ってしまいます。
【団体や組織が消えると何が起きる?】
団体の本質的価値は“イベント”でも“親睦”でもありません。
本当の価値は『中間層の翻訳装置』だと私は理解しています。
団体は、個別の困りごとを集約し、言語化し、行政・政治に届けるという翻訳装置なわけです。
これが失われると何が起きるか?
行政・政治に声が届かなくなるというか、声が大きい人(届く人)と小さい人(届かない人)に“二極化”すると思っています。
団体があった時代は、『本人はうまく説明できないが、団体が代弁する』が可能でしたが、これがなくなるわけです。
その結果起こることとしては、行政は“画一化”せざるを得なくなると予測しています(区民の総意を聞き取ることができなくなるため)。
結果、『制度で対応できる人だけを対象にする』という設計になり、生きづらさは『静かに増えていく』のではないかと考えています。
きめ細かさは、団体というフィルターがあって初めて成立していたのですが、これがなくなることで貧困や困難が可視化されにくなり、孤立と諦めが増える人が増えるのではないかと危惧しているわけです。
社会は荒れるのではなく、冷たく、静かに、自己責任化する。
この『静かに』が怖いところだと思うわけで、だからこそ、壊れる前に何とかしないといけないのではと考えているわけです。
「制度上は平等だが、実態として不平等な社会」。
これは、助けを求められる人だけが助かる、団体に守られない人は、声を出す前に諦める、行政は“対応している(つもり)”になる、政治は“支持されている層だけを見る”ようになってしまいます。
この状況の最も深刻なのは、社会の痛点が誰にも共有されなくなること。
これは、生きる上でリスクが高まる結果になり、本当の意味で社会は底なし沼ができてしまうと思います。
そして、そんな社会は誰もが不安を抱え幸せにならず嫌だなぁと私は思うのです。
『団体が弱ると、政治が現実から浮く』という感覚は、実はさまざまな弊害を孕んでいるのです。
【じゃあどうする?】
冒頭で書きましたが、私は『昔はよかった』みたいなノスタルジーに浸るわけでもなく、『昔の地縁を取り戻そう』と思っているわけでもありません。
社会の変化は事象でしかなく、そこに逆らうのは無理な話です。
そうではなく、今後必要なのは『団体の機能をどう再設計するか』を提案しています。
前提として『団体=会員制・継続参加・無償奉仕』を前提とする設計からいったん離れる必要があると考えており、機能をどう活かすかを考える視点です。
そこで、団体や組織の担っていた役割をざっくりと棚卸してみます。
課題の早期発見
当事者の声の集約
言語化・整理(翻訳)
行政・政治への接続
継続的な関係性の保持
これらについて、行政は『団体や組織』ではなく、この機能単位で事業検討する必要があると感じています。
・負担を背負う人が損をしない構造
・代弁・翻訳・集約をどう担保するか
昨日書いたとおり、私自身、まだ最適解を見つけることはできていません。
そのため、現時点で考えて出した途中経過を書かせてください☆
まず考えなければならないのは、今現在負担を担う人が損をしない構造です。
そのために一番に変えなければならないのは『地域の課題解決は善意を前提にしないこと』です。
・無償
・長期
・責任だけ重い
この3点が揃った瞬間、担い手は消えます。
そうではなく、“具体的な損をしない仕組み”と“負担の可視化と数値化”するために、活動時間を行政が記録(自己申告でOK)、「見えない労働」を記録するだけで意味があると考えています。
これにより、評価・表彰より活動を可視化でき、担い手ののキャリア・転職・評価に使える形にしていくのです。
あと一つできることとしては、『金銭ではなく制度的リターンの仕組みをつくる』です。
例えば、委員就任時の優先枠、研修・資格費用の補助、行政案件の情報優先提供など、現金より将来の選択肢が増える設計をすることで、『役を担った方が得』という感覚を持つことができます。
ほか、責任の分散・限定するために、個人代表を置かないとか、(行政として解決しなければならない課題に対して動くときは)最終責任は行政が担うとか、提案は「参考意見」扱いとするなど、失敗リスクを個人に背負わせない構造にするということです。
続いて考えることは『代弁・翻訳・集約をどう担保するか』ですが、これは“監視にならない「行動に近い」情報取得ができるか”がポイントになると感じています。
そのためには、現在行われている現況調査や意識調査だけではなく、声を上げない人の声も拾える仕組みが必要かと思っています。
・相談内容のタグ化(誰がではなく何が増えているかを見る)
・行政行動データの副次利用(窓口再訪問など行動を“結果”として捉える(監視しない))
・意図しない声の拾い上げ(自由記述の自然言語処理(感情・困惑語))
・当事者ヒアリングのプロ化(聞く人を訓練された第三者にしたり、質問項目を標準化しまとめは必ず行政側が行う)
・「沈黙」をデータとして扱う(参加率の低下や反応ゼロ・途中離脱など、声なき声は“拒否”ではなく“余裕のなさ”と捉える
etc
ポイントは、現在行っている事業や対応を活かしながら分析するということです。
同時に、行政が関与できる境界線についても考えたのですが、これを書き出すと5,000字を軽く超えてしまいそうなので、その辺りは機会があれば書きたいと思います。
あぁ、今日も長々と書いてしまいました(ほんといつもまとまりがなくてすみません・・・)。
最後までお読みいただきありがとうございました。

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