本日の要約
結論: ルールは守ること自体が目的ではなく、『江東区の高齢者の暮らしを支えるため』にあるものです。
理由: 行政の『制度を守る責任』と現場の『利用者を守る責任』がぶつかると、ルールの目的より手続きそのものが優先されることがあるからです。
何をするか: 8月19日の意見交換では、現場の声を具体的な改善につなげるため、行政と現場の認識の違いを『翻訳』し、江東区としてより良い運用を探ります。
ブログへの訪問をありがとうございます!
昨日は、富岡八幡宮例大祭(深川八幡祭り)でしたね。
私は自宅から近い大門通りでたくさんのお神輿を観ることができました。
担ぎ手の皆さま、それを支えた皆さま、本当にお疲れ様でございました。
さて、今日は19日に行われる行政と介護現場の意見交換を前に、頭の整理も含め色々考えていることを書きます。
仕事でも行政でも、長く続いている仕組みの中にいると、ときどき『そもそも、これは何のためにやっているのだろう』と思うことがあります。
決められた手続きを守る。
必要な書類を整える。
基準に従って確認する。
会議を開く。
報告をする。
もちろん、どれも必要なことです。
ただ、本来それらは、何かを実現するための『手段』だったはずです。
ところが、組織が大きくなり、制度が複雑になり、失敗しないことが強く求められるようになるほど、いつの間にか『手段を正しく実行すること』そのものが目的になってしまうことがあります。
いわゆる『手段の目的化』です。
今回は、私自身が長く従事してきた介護支援専門員、いわゆるケアマネジャーの仕事と、江東区における介護保険制度の運用を通じて、このことについて考えてみたいと思います。
私なりの結論を先に言えば、問題は『どちらが正しいか』ではなく、『何のための制度なのか』を共通の判断基準にできるかどうかだと思っており、今の私なりの考えを書いてみたいと思います。
では、いってみよー☆
【介護保険制度は『何のため』にあるのか】
介護保険制度は2000年に始まりました。
高齢になり介護が必要になった人や、加齢に伴う特定の疾病によって介護が必要になった人を、家族だけに任せるのではなく、社会全体で支えていく。
そして、介護が必要な状態になっても、その人が必要な支援を受けながら生活していくことができる社会をつくる。
これが制度の根底にある考え方です。
介護保険制度では、市区町村が保険者となっています。
江東区で暮らす人の介護保険を、江東区が保険者として運営する。
これは単に、国が決めた制度を自治体が事務的に執行すればよい、という意味ではありません。
全国共通の制度や基準を踏まえながらも、地域にどのような高齢者が暮らしているのか、どのような介護サービスがあり、どこに課題があるのかを把握し、その地域に応じた介護保険制度を運営していくことも自治体には求められています。
また、介護保険制度の開始とともに『介護支援専門員』、いわゆるケアマネジャーという専門職が生まれました。
ケアマネジャーは、単に介護サービスを紹介する仕事ではありません。
利用者本人の心身の状態だけでなく、生活環境、家族関係、本人がどのような暮らしを望んでいるのかなどを把握し、その人に必要なサービスや社会資源を組み合わせ、多くの関係者と調整しながら生活を支えていきます。
医療と介護をつなぐ。
本人と家族をつなぐ。
サービス事業者同士をつなぐ。
そして、制度と生活をつなぐ。
私自身、長くこの仕事に携わってきました。
だからこそ、介護保険制度が持つ理念と、実際の制度運用との間に生じるズレについて、現場にいた頃から強い問題意識を持っていました。
【『地域としてどう考えるか』より『国はどう言っているか』】
介護保険制度には、当然ながら多くのルールがあります。
公的な保険制度ですから、好き勝手に運用することはできません。
保険料や税金が使われ、介護事業所には介護報酬が支払われています。
利用者によって扱いが変わったり、事業所によって基準が違ったりしては、公平な制度とは言えません。
だから全国共通の一定のルールが必要であることは、私も当然だと思っています。
一方で、市区町村が保険者である以上、本来は全国共通の基準を踏まえながら、『この地域ではどう運用することが適切なのか』を考えることも必要です。
しかし現実には、『江東区としてどう考えるか』より、『国はどう言っているのか』が先に立ってしまうことがあります。
国の通知や解釈をそのまま当てはめる方が、行政としては安全です。
独自に判断すれば、なぜその判断をしたのかという説明責任が生じます。
一方、国の考え方をそのまま準用すれば、『国がそのように示しているため』と説明することができます。
組織の立場から考えれば、それは非常に合理的な行動でもあります。
しかし、ここに一つの問題があります。
介護の対象は『人』だということです。
同じ要介護度であっても、同じ病気であっても、一人ひとり状況は違います。
認知症の状態も違う。
住環境も違う。
家族との関係も違う。
経済状況も違う。
本人が大切にしていることも違う。
制度の文章だけでは説明できないことが、介護の現場には山ほどあります。
だからケアマネジャーをはじめとする専門職は、ルールを理解しながら、その中でどうすれば目の前の人の生活を支えられるのかを考え続けています。
ところが、制度運用が『ルールに適合しているか』という視点だけに偏ると『何のためにそのルールがあるのか』よりも、『そのルールを守ったかどうか』が重要になっていきます。
私は、ここに『手段の目的化』が起こる危険性を感じています。
【現場の声を『個人の不満』で終わらせないために】
江東区では、介護保険制度の運用について国の基準や解釈を強く準用する傾向があり、そのことが現場との認識の違いや軋轢につながっていると、私はケアマネジャーとして働いていた頃から感じていました。
ただ、現場の人がそれぞれ個別に行政へ不満を伝えても、『その人だけが感じていることなのか』『地域全体の課題なのか』は分かりません。
そこで、まず主任ケアマネジャーの職能団体を区内に立ち上げ、年に一度テーマを設定して、区内のケアマネジャーを対象とした現況調査を行うようにしました。
できるだけ多くの現場の声を集め、『誰か一人の不満』ではなく、『江東区の介護現場で実際に何が起きているのか』を可視化し、その結果を江東区福祉部に提出して改善を求めてきました。
その後、私が議員になってからは、特定の職能団体だけではなく、他のケアマネジャー職能団体にも声をかけ、できるだけ『江東区の現場の総意』に近い形で行政と話ができる環境を整えてきました。
現在は年に一度、江東区と介護現場が直接意見を交換する機会を設けています。
ただ、この場を私は単なる『意見交換会』にはしたくありませんでした。
行政に不満を言って、行政がそれを聞き、双方が『話ができてよかったですね』で終われば、それは単なるガス抜きになってしまいます。
意見交換の場で出された課題について、行政側が持ち帰り、福祉部内で検討する。
その結果を職能団体へ返す。
現場側はその回答を受けて、さらに議論する。
必要であれば再び行政と調整する。
そうやって少しずつ、双方が納得できる運用へと近づけていく。
私は、この一連のプロセスまで含めて『意見交換』だと考えています。
実際、こうした対話から事務作業の効率化につながったこともあります。
また、これまで曖昧だった現場からの質問について、江東区が保険者として回答することで、『江東区ではこのように考える』という運用上の考え方も、少しずつ明確になってきました。
この点については、私は現在の取り組みは一定程度前に進んでいると考えています。
【それでも残る『運営指導』への不信感】
一方で、以前から現場から繰り返し聞かれてきた問題があります。
それが、江東区による介護事業所への『運営指導』です。
運営指導そのものは必要です。
介護保険制度が適切に運用されているか。
必要な人員や体制が確保されているか。
利用者に適切なサービスが提供されているか。
介護報酬の請求は適切か。
こうしたことを行政が確認するのは、保険者として当然の責務です。
しかし現場からは以前から、『指導というより粗探しになっているように感じる』『現場の事情を十分に聞いてもらえない』『どう改善すればいいのかではなく、できていないところを指摘されて終わる』といった声がありました。
そしてここ2年ほど、『以前よりその傾向が強くなっているように感じる』という声を、複数の現場から聞くようになりました。
もちろん、何人かの不満だけを聞いて行政の運営指導全体を評価するべきではありません。
だからこそ、今回、職能団体として改めて運営指導に関する現況調査を実施しました。
しかも、この調査は行政に対して突然突きつけるためのものではありません。
事前に江東区へ調査を実施することを伝え、行政側からも、『現場にこういうことを聞いてほしい』という事項がないか確認した上で進めました。
これはとても重要なことだと思っています。
今回の目的は、『江東区の運営指導はひどい』という結論を最初から決めて、それを証明することではありません。
現場が何に困っているのか。
行政は何を問題だと考えているのか。
どこに認識の違いがあるのか。
それを双方が把握し、運営指導そのものをより良いものにしていくことが目的だからです。
【『どちらも正しい』と言いたいわけではない】
こういう話を書くと、『行政にも事情があるし、現場にも事情がある。だからお互い理解しましょう』という、いわゆる中立的な話に聞こえるかもしれません。
しかし、私が言いたいことは少し違います。
私は議員です。
議員の役割の一つは、区民や現場の声を行政へ届けることです。
行政と現場の間に立って、双方の言い分を50対50で聞き、真ん中の地点を探すことが目的ではありません。
現場で困っている人がいる。
制度の運用によって仕事がしづらくなっている。
その結果として利用者への支援に影響が出る可能性がある。
そうした声があれば、それを行政に届け、改善を求める。
それは議員として当然の仕事だと思っています。
したがって今回の運営指導についても、現場からこれだけ繰り返し問題提起が出ている以上、私は江東区に対して、『現場の声をきちんと受け止め、必要な改善をしてほしい』と求める立場です。
そこを曖昧にするつもりはありません。
ただし、行政を批判すること自体が目的でもありません。
行政を言い負かしたところで、江東区の高齢者介護が良くならなければ意味がないからです。
私が行政側の事情も理解しようとするのは、行政の肩を持ちたいからではありません。
現場の声を、実際の制度改善につなげるためです。
行政が何を守らなければならないのか。
どこまで裁量があるのか。
どこからは国の制度そのものの問題なのか。
どこなら江東区独自の改善ができるのか。
それを理解しないまま、『現場が困っているのだから、とにかく何とかしてください』と言うだけでは、問題は動きません。
現場の声を行政の言葉へ翻訳し、行政が判断できる材料にする。
逆に、行政がなぜそのような判断をするのかを、現場に理解できる言葉で伝える。
その上で、『では、どこを変えられるのか』を探す。
私は、それが議員として果たすべき役割の一つだと思っています。
【衝突するのは、双方が仕事をしているから】
今回の問題が難しい理由は、行政と現場のどちらか一方がサボっているからではありません。
むしろ逆です。
行政は、『公的な介護保険制度を預かる以上、ルールを守ってもらわなければならない』と考えています。
これは行政として当然の責任感です。
介護報酬には公費や保険料が使われています。
不適切な運用を放置するわけにはいきません。
また、ある事業所では認め、別の事業所では認めないという運用をすれば、公平性も失われます。
だから行政は、基準を確認し、ルールを守ることを求めます。
一方、現場は、『ルールがあることは分かっている。しかし、目の前にいる高齢者の生活はルールどおりには動かない』と感じています。
利用者の体調は変わります。
認知症の状態も変化します。
サービスを拒否することもあります。
家族の事情が急に変わることもあります。
予定していた支援が成り立たなくなることもあります。
そのたびにケアマネジャーや介護職は、本人の生活をどうすれば守れるかを考え、関係者と調整し、時には制度と現実との間でギリギリの判断をしています。
行政は『制度を守る責任』を果たそうとする。
現場は『利用者を守る責任』を果たそうとする。
それぞれが自分の役割を真面目に果たそうとするからこそ、正しさが衝突する。
私は、社会で起きる多くの対立には、こうした構造があるのではないかと思っています。
悪い人と良い人が争っているわけではない。
それぞれの立場から見える『正しさ』が違う。
だからこそ、落としどころをつけるのが難しいのです。
【それでも、最終的な判断基準は一つ】
では、行政にも現場にもそれぞれ正しさがあるなら、『どちらも一理ありますね』で終わればいいのか。
私はそうは思いません。
最終的な判断基準は、明確であるべきです。
それは、『江東区の高齢者介護をより良いものにするために、何が必要なのか』です。
行政の正しさと現場の正しさの中間地点が、必ずしも最善とは限りません。
行政の判断を変えるべき場合もあるでしょう。
逆に、現場側が運用を改めなければならない場合もあります。
双方に改善が必要な場合もあります。
大事なのは、『行政と現場のどちらが勝ったか』ではありません。
『利用者にとって、江東区の介護にとって、より良い結果になったか』です。
だから私は、行政と現場の『中間』に立ちたいのではありません。
出発点は、区民や現場の声です。
しかし、最終的な判断基準は『どちら側か』ではなく、『江東区の高齢者介護をより良くするために何が必要か』です。
その結果、行政に改善を求めることもあれば、現場側に改善を求めることもある。私は、その基準を曖昧にしたくありません。
【『見えない支援』をみる大切さ】
今回、行政に特に伝えたいことがあります。
それは、運営指導において、『書類に書かれていること』だけではなく、『その書類の向こう側で、現場が何をしているのか』を見てほしいということです。
介護現場には、制度上の項目だけでは評価されにくい『見えない支援』がたくさんあります。
利用を拒む本人に何度も会いに行き、少しずつ関係をつくる。
遠方の家族と何度も連絡を取り、支援方針を調整する。
医療機関と介護事業所の間に入り、情報をつなぐ。
認知症のある本人の意思を尊重しながら、安全とのバランスを考える。
地域住民や民生委員などとも連携し、何とか地域での生活を続けられる環境をつくる。
こうした支援は、とても時間がかかります。
しかし、そのすべてが介護報酬として明確に評価されるわけでも、記録の一行一行に表れるわけでもありません。
だからこそ、私は運営指導の際には、『できているか、できていないか』を見るだけではなく、『なぜこうなっているのか』『そのとき、利用者に対してどのような支援をしていたのか』『現場では何が起きていたのか』を丁寧に聞いてほしいと思っています。
もちろん、事情を聞けばルール違反がすべて許されるという話ではありません。
必要な基準は守らなければなりません。
ただ、事実を確認することと、粗を探すことは違います。
指導することと、責めることも違います。
もし改善すべき点があるのであれば、『ここができていません』で終わるのではなく、『では、どう改善すればよいのか』まで示してほしい。
私は、その姿勢こそが『運営指導』という言葉にふさわしいと思っています。
【現場を萎縮させる行政運営で、本当に質は上がるのか】
ここで私が特に懸念しているのが、人材不足です。
介護の現場は、決して余裕のある状況ではありません。
人が足りない。
仕事量は多い。
制度は複雑になる。
書類も増える。
それでも、目の前の高齢者を支えなければならない。
そうした中で専門職が、『利用者のためにここまでやった』と思っていても、運営指導では書類の不備だけを指摘される。
現場の事情を説明しても聞いてもらえない。
改善方法を尋ねても明確な答えが返ってこない。
もし、そうした経験が積み重なれば、『もう余計なことはしない方がいい』『利用者のために工夫するより、指摘されないことを優先しよう』という心理が生まれても不思議ではありません。
それは本当に、江東区の介護の質を高めることにつながるでしょうか。
私は逆だと思います。
介護は、専門職が担う仕事です。
高齢者一人ひとりの生活を見て、何が必要かを考え、調整し、判断する。
だからこそ、専門職がその力を発揮できる環境をつくらなければなりません。
必要なルールは守る。
不適切な運用があれば直す。
その一方で、良い取り組みはきちんと認め、課題があれば改善方法を一緒に考える。
現場を萎縮させるのではなく、力を引き出す。
行政には、現場を萎縮させるのではなく、専門職が持っている力を引き出す・・・いわば『現場をエンパワメントする』視点も持ってほしいと考えています。
人材不足が深刻になる今だからこそ、この視点はますます重要だと思っています。
【現場の責任】
ここまで行政に対する要望を書いてきましたが、現場側にも伝えたいことがあります。
『利用者のためにやっているのだから、ルールは多少守れなくても仕方がない』という考え方でよいとは、私は思いません。
ケアマネジャーをはじめとした介護職は専門職です。
専門職には一定の裁量があります。
しかし、裁量が認められるためには、その判断について説明できなければなりません。
なぜその支援が必要だったのか。
なぜその判断をしたのか。
本人の意向をどう確認したのか。
どのようなリスクを考えたのか。
その結果をどう評価したのか。
専門職として、これらを説明できる力は必要です。
そして、これは個々のケアマネジャーが一人で努力すればよいという話でもありません。
一人の経験には限界があります。
だから横の連携が必要です。
困難事例を共有する。
制度解釈について話し合う。
困ったときに相談する。
行政から示された考え方を地域で共有する。
職能団体を通じて、必要であれば行政へ改善を求める。
江東区内のケアマネジャーが互いに支え合いながら、地域全体としてケアマネジメントの質を上げていく。
行政に対して、『専門職として見てほしい』と求めるのであれば、現場側も、『専門職として質を高め続ける』責任があります。
私は、そこも曖昧にしたくありません。
【意見交換は『行政を責める場』ではない】
8月19日、江東区と介護現場(ケアマネジャー)との意見交換を行います。
今回の現況調査の結果も踏まえ、運営指導についても話をする予定です。
この場に向けて、私は現場側にも繰り返しお願いしています。
『相手を責める場にはしないでほしい』『行政批判を目的にした発言はしないでほしい』と。
これは行政に遠慮しているからではありません。
むしろ、行政に本気で改善を求めたいからです。
相手を責めれば、相手は防御します。
『私たちは間違っていない』という議論になれば、そこで話は止まります。
しかし今回の目的は、『行政が悪いと認めさせること』ではありません。
『江東区の運営指導を良くすること』です。
だから現場には、何が問題だったのかを具体的に伝えてほしい。
どういう言動を受けて困ったのか。
何が分かりにくかったのか。
どのような対応であれば改善につながるのか。
事実と改善案をできるだけ具体的に伝えてほしいと思っています。
一方で行政には、『現場が反発している』と捉えるのではなく、『なぜこれだけ多くの現場から同じような声が出ているのか』を考えてほしい。
現場が単にルールを嫌がっているのだ、と片づけるのではなく、その背景まで知ろうとしてほしいと思っています。
【必要なのは『翻訳』】
私は、行政と現場の間にいると、ときどき同じ日本語を話しているのに、まるで違う言語を使っているように感じることがあります。
行政が、『ルールを守ってください』と言う。
現場は、『現場を分かっていない』と受け取る。
現場が、『こんな運用では仕事にならない』と言う。
行政は、『ルールを守るつもりがないのか』と受け取る。
本当は、その間にもっとたくさんの意味があります。
行政の言葉の背景には、『公平な制度を守らなければならない』『公費を扱う以上、説明責任がある』という事情があります。
現場の言葉の背景には、『ルールを軽視しているわけではない』『それでも目の前の利用者の生活を成立させなければならない』という事情があります。
この背景を相手に伝える。
私は、それが『翻訳』だと考えています。
そして議員としての私の役割は、単に双方の真ん中に立つことではなく、区民や現場の声を出発点として、その声が行政に正しく届き、具体的な改善につながるよう翻訳することだと思っています。
同時に、行政の回答や事情についても現場に伝え、『それなら、現場として何ができるのか』を一緒に考える。
そうやって議論を前に進めることが、私は必要だと思っています。
【地方自治とは『地域で考える責任』でもある】
今回の話は、一見すると介護保険の運営指導という個別の話です。
しかし私は、その背景には『自治体は国のルールを執行するだけの存在なのか、それとも地域の実情を踏まえて自ら考える存在なのか』という、地方自治そのものの問いがあると感じています。
国から示されたルールを、そのまま正確に運用する。
それだけなら、ある意味では簡単です。
しかし、市区町村が介護保険の保険者である意味は、本当にそれだけなのでしょうか。
私は違うと思っています。
江東区には江東区の人口構成があります。
地域特性があります。
介護事業者があります。
医療資源があります。
そして、そこで暮らす高齢者がいます。
全国共通のルールを守りながらも、『江東区ではどう考えるのか』を行政自身が考える。
現場と対話する。
必要な情報を集める。
判断する。
そして、その判断について責任を持つ。
地方分権とは、単に国から自治体に権限が移ることではなく、『地域が自ら考える責任を引き受けること』でもあるのではないでしょうか。
私は介護保険制度に限らず、行政にはその力を持ってほしいと思っています。
【ルールを守ることと、良い介護をすることは対立しない】
私は、ルールが不要だと言いたいわけではありません。
むしろ、公的制度だからこそルールは必要です。
そして現場にも、そのルールを理解し、守る責任があります。
ただし、ルールには目的があります。
公平性を保つため。
介護の質を守るため。
利用者の権利を守るため。
公費を適切に使うため。
その目的を実現するためにルールが存在しています。
だから、『ルールを守ること』と、『良い介護をすること』を対立させてはいけないと思います。
本来、この二つは同じ方向を向いていなければなりません。
もしルールどおりに運用することが、現実の介護と大きく乖離しているのであれば、『現場が間違っている』で終わるのではなく、『なぜこれほど乖離しているのか』を考える。
逆に、現場の慣習が制度の目的から離れているのであれば、現場も改善する。
その繰り返しによって、江東区としての運営の考え方を少しずつつくっていく。
私は、それが必要だと思っています。
【誰が正しいかではなく、何を良くしたのか】
政治の世界では、対立構図の方が分かりやすいことがあります。
行政対住民。
行政対現場。
与党対野党。
どちらが正しいのかを明確にした方が、話としては理解しやすい。
しかし、実際の地域課題は、それほど単純ではありません。
行政には行政の責任がある。
現場には現場の責任がある。
それぞれが自分の立場から正しいと思うことをしている。
だからこそ、問題が解決しないことがあります。
そんなとき政治に必要なのは、単にどちらかに加勢して対立を深めることではなく、区民の側から見て、最終的に何を良くするのかを問い続けることだと私は思っています。
もちろん、区民や現場の声を行政に届ける。
必要であれば行政に改善を強く求める。
それは議員として果たすべき役割です。
しかし、要求を伝えただけで仕事が終わったとは思いません。
行政がどう受け止めたのか。
何が変えられるのか。
変えられないのであれば、なぜなのか。
他に方法はないのか。
そして結果として、区民の生活は良くなったのか。
そこまで追いかけて初めて、議員として意味のある仕事になるのだと思っています。
8月19日の意見交換も、その一つの過程です。
一度の話し合いですべてが解決するとは思っていません。
現場の声を集める。
行政に伝える。
行政が考える。
回答を受ける。
現場でも再び考える。
必要ならもう一度話す。
そうやって少しずつ、江東区の介護保険制度をより良いものにしていく。
時間はかかります。
しかし、私はこの積み重ねが必要だと思っています。
行政も現場も、目指しているものは本来同じです。
『江東区の高齢者が、いくつになっても住み慣れた地域で、安全に安心して暮らせること』そのために介護保険制度があります。
そのために行政があります。
そのためにケアマネジャーをはじめとする専門職がいます。
そして、そのために運営指導もあるはずです。
だからこそ、ときどき原点に戻り、『これは何のためにやっているのか』を問い直す。
ルールを目的にしない。
現場の経験だけを絶対視しない。
行政と現場が互いに相手の見えていない部分を知り、その上で江東区としてより良い答えを探していく。
これが、何よりも大切だと感じています。
【おわりに】
8月19日の意見交換が、行政と現場のどちらが正しいかを決める場ではなく、『江東区の高齢者介護をより良くするために、行政と現場がそれぞれ何を変え、何を一緒につくっていくのか』を考える場になることを期待しています。
私自身も、区民や現場の声をしっかり受け止め、それを行政へ届けるだけで終わらせず、具体的な改善につながるまで対話を続けていきたいと思っています。
制度を守るための地域ではなく、地域で暮らす人を支えるための制度にする。
ルールは何のためにあるのか。私は、その問いを行政にも現場にも、そして自分自身にも問い続けたいと思います。
その目的だけは、見失わないようにしたいと思います。
頑張りますぞ~。
最後までお読みいただき、ありがとうございました

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