本日の要約
結論: AIは『答えを出してもらう道具』だけでなく、自分の強みや思考の癖を映し出す『鏡』としても使えると感じています。
理由: AIとの対話で、自分では強みだと思っていた部分が、場面によっては弱点や認知の偏りにもなり得ることに気づいたからです。
何をするか: AIの分析を鵜呑みにせず『仮説』として使い、自分の思考を外から点検する習慣をこれからも続けていきます。
ブログへの訪問をありがとうございます!
私はたまにChatGPTとの対話を、自分自身を客観的に見るための『鏡』のように使っています。
AIというと、調べものをしたり、文章を作ったり、仕事を効率化したりするための道具という印象が強いと思います。
もちろん私も、そうした使い方をしています。
ただ、たまに、少し違った使い方をするようになりました。
それが『内省』です。
自分が何を考えているのか。どのような思考の癖があるのか。
自分の強みは何か。
逆に、自分では気づきにくい弱点や認知の偏りはないか。
こうしたことを、かなり率直にChatGPTに問いかけています。
もちろん、AIによる人物分析が心理学的な診断になるわけではありません。
私がこれまで入力してきた言葉や考え方、相談内容などを材料にした一つの仮説に過ぎません。
それでも、自分一人で考えているだけでは気づかなかった部分を言語化してもらうことで、『なるほど、確かにそういう傾向はあるかもしれない』と思うことが何度もありました。
今回は、そんなAIとの対話を通じて見えてきた『私という人間』について書いてみようと思います。
結論から言えば、AIに自分を評価してもらうことそのものより、その評価を材料に『自分は本当にそうなのか』と考え直す過程に、一番大きな価値があると感じています。
では、いってみよー☆
【『私という人間』の評価】
きっかけは、ChatGPTにかなり単純な質問をしたことでした。
『君から見たら、私はどういう人間だと思う? 良い点も改善が必要な点も含めて、できるだけ細かく評価してほしい』
その際、私はあらかじめChatGPTにいくつかお願いをしていました。
できるだけフラットに話してほしいこと。
必要以上に持ち上げないこと。
評価や分析では忖度せず、中立的な立場から、必要なら厳しいことも言ってほしいこと。
そして、私自身が認知バイアスや思い込みにとらわれている場合は、遠慮なく指摘してほしいことです。
私は、褒めてもらうためにAIを使いたいわけではありません。
むしろ、自分が気づいていない弱点を見つけてもらう方が価値があると思っています。
すると、返ってきた人物像は、おおよそ次のようなものでした。
『現実主義的な構造分析型で、判断基準が明確。人間を理想化せず、現場経験を通じて制度と人の両方を見るタイプ』
これだけ読むと、随分と良い評価に見えます。
ところが、面白かったのはここからでした。
【強みと弱みは、実は同じ場所にある】
ChatGPTから最も印象的に言われたことの一つが、『強みと弱みは同じ場所にある』ということでした。
たとえば私は、物事を構造化して考えることが比較的好きです。
何か問題が起きたとき、『誰が悪いのか』より、『なぜこういう状況になっているのか』『どこがボトルネックなのか』『制度上、何を変えれば改善するのか』と考える傾向があります。
行政への政策提案でも、単に問題を指摘するより、課題を整理し、優先順位をつけ、実行主体を考え、実装方法を検討する、という流れで考えることが多いようです。
これは私自身も強みだと思っています。
一方で、『構造が見えるからこそ、構造が見えていない人に苛立ちやすい』という指摘を受けました。
これは、かなり腑に落ちました。
私の中ではAからB、BからCへ自然につながっていることでも、相手にはAしか見えていないことがあります。
それなのに私は、『なぜ分からないのだろう』と思ってしまう。
これは、相手の能力を評価しているというより、自分の思考速度や理解の仕方を相手にも当てはめているのだと思います。
この指摘は、かなり大きな気づきでした。
【 『判断が遅い人』が苦手なのではなく、『進まないこと』が苦手】
私は以前から、自分は曖昧な状況や判断の遅い人が苦手だという自覚がありました。
ただ、対話を続ける中で、少し違うことに気づきました。
私は『分からないこと』そのものよりも、『決めないこと』『進まないこと』『責任の所在が曖昧なまま時間だけが過ぎること』に強いストレスを感じるようです。
そして、ここでもChatGPTから一つ大きなヒントをもらいました。
それが、『相手を能力で評価するより、意思決定パターンで見る』という考え方です。
たとえば、『この人は判断が遅い』と評価すると、それは人物批判になります。
しかし、『この人は前例がないと動きにくい』『この人は失敗した場合の責任を強く気にする』『この人は上司の承認が必要』『この人は合意形成ができないと前に進めない』と考えると、話が変わります。
評価ではなく、対策になるからです。
前例が必要な人なら、他自治体の事例を持っていけばよい。
責任を恐れる人なら、まず小規模な試行を提案すればよい。
上司の判断が必要なら、上司に説明しやすい資料を用意すればよい。
これを聞いたとき、これを聞いたとき、『人物評価ではなく、対応策を考える』という考え方が、自分の中でかなりしっくりきました。
ただし、ここにも注意点があります。
相手を『○○型』と決めつけてしまえば、結局は別のラベル貼りになるからです。
そこで、『分類するのではなく、仮説を置いて、反応を見ながら修正する』という考え方を教えてもらいました。
この考え方は、今後かなり意識して使いたいと思っています。
【人間の非合理性を過小評価しているかも】
もう一つ、かなり重要な指摘がありました。
それが、『人間の非合理性を少し過小評価している可能性がある』というものです。
私は長く相談援助の仕事をしてきました。
高齢者介護の仕事は、もう30年近くになります。
その中で、人の良い部分も嫌な部分も、かなり見てきたつもりです。
家族だからといって必ず助けるわけではない。
善意があっても動けない人もいる。
逆に、こちらが予想もしないほど献身的に動く人もいます。
そのため、私は自分なりに、『人に過度な期待をしない』という考え方を身につけてきました。
これは、批判的な意味ではなく、自分の期待を押し付けないという意味であり、私の中では合理的な人間理解だと思っていました。
ところがChatGPTから、『人間を美化しないことと、人間の非合理性を理論的に理解していることは別』という趣旨の指摘を受けました。
私は、『人は理屈通りには動かない』ということは経験的によく知っています。
しかし、『なぜそう動くのか』については、かなり経験則に頼っているのではないか、ということに気づきました。
これも、確かにその通りだと思いました。
現在、私は行動経済学を学んでいます。
損失回避、現状維持バイアス、社会規範、フレーミングなど、人間の非合理的な行動を理論として理解することで、これまで自分が経験的に感じてきたことに名前がつき始めています。
ただし、これにも新たなリスクがあります。
『この人は損失回避だから』『この人は現状維持バイアスだから』と、今度は行動経済学の言葉で人間を単純化してしまう可能性です。
そこで私は、行動経済学についても、『説明ではなく仮説として使う』ことを意識したいと思っています。
これはAIについても同じです。
AIが示した人物像も、行動経済学の概念も、『相手や自分を説明し切る答え』ではなく、考えるための仮説として扱うくらいがちょうどよいのだと思います。
【『期待しない』が『可能性を見ない』にならないように】
対話の中で、一番ドキッとした言葉の一つがあります。
それが、『期待しないが、可能性を見ないに変わることには注意した方がいい』という指摘でした。
私は長年の仕事を通じて、『人に勝手な期待をしない』ことを意識するようになりました。
期待するから失望する。
自分の価値観を相手に投影するから、腹が立つ。
それなら最初から、『人はいろいろだ』と考えた方が楽です。
これは今でも間違っていないと思います。
ただ、自分に余裕がないとき、『どうせこの人は変わらない』『どうせこの組織は動かない』と、期待をしないことが、可能性そのものを切り捨てることに変わっている場合がある。
この指摘には、かなり思い当たるところがありました。
そこで最近は、『期待しない』よりも、『予断を持たない』という表現の方が、自分には合っているのではないかと思っています。
最初から善意も悪意も決めつけない。
できるとも、できないとも決めつけない。
相手の反応を見ながら判断する。
このくらいが、今の私にはちょうどよいのかもしれません。
【対等な相手ほど、感情を軽視してしまう】
これは自分自身との対話の中で気づいたことです。
私は相談援助の仕事をしてきたため、相談者の話を聴くことには比較的慣れています。
相手が何を不安に思っているのか。
何に怒っているのか。
何を言葉にできずにいるのか。
そうした部分を聴き取ることは、むしろ得意な方だと思います。
ところが、議員仲間や、同じ資格を持つ専門職など、自分が『対等』だと認識している相手になると、急に合理性を求める傾向があることに気づきました。
『同じ立場なのだから、このくらい理解するだろう』『同じ資格を持っているのだから、ここは説明しなくても分かるだろう』という期待が、無意識に生まれているのだと思います。
ChatGPTからは、『同じ肩書きだからといって、同じ判断速度や論理性を持っているわけではない』と指摘されました。
当たり前と言えば当たり前です。
しかし、自分の中では意外と盲点でした。
そこで、今後は、『肩書きと能力を切り離して考える』ことを意識したいと思っています。
同じ議員でも、同じ資格でも、得意分野も思考方法も違います。
無理に分かり合おうとせず、必要に応じて距離を取ることも一つの方法だと思います。
ただし、感情的な人だと決めつけて切り捨てないこと。
人間関係では距離を取っても、相手の感情そのものは情報として拾うこと。
この区別も大切にしたいと思っています。
【弱点は、すべて克服しなくてもよい】
今回の内省で、私自身が一番納得したことがあります。
それは、『すべてを自分で改善しなくてもよい』ということです。
私は決して、あらゆる人間関係を器用にこなせる人間ではありません。
むしろ、苦手なこともたくさんあります。
曖昧な話に長時間付き合うこと。
相手の感情に配慮しながら、言葉を瞬時に選ぶこと。
人間関係そのものを目的として維持すること。
自分と違う判断速度の人に、常に寛容でいること。
これらを全部克服しようとしたら、たぶん疲れ果ててしまいます。
そこで私は、『改善できる部分は改善する。しかし、苦手な部分は他者や仕組みに補ってもらう』という考え方を持つようになりました。
たとえば私は、言いたい内容は変えたくないけれど、表現が強くなりすぎることがあります。
そこでChatGPTには、『内容を弱めず、相手に伝わりやすい形にリフレーミングしてほしい』とお願いしています。
これは、自分の弱点をAIに丸投げしているというより、『自分の強みを活かすために、苦手な機能を補完してもらう』という感覚に近いです。
人間同士でも同じだと思います。
誰かは分析が得意。
誰かは人間関係の調整が得意。
誰かは発信が得意。
すべてを一人でできる必要はありません。
【AIを『答えを出すもの』ではなく『外部チェック機構』として使う】
今回の対話を通じて、私が一番面白いと感じているのはここです。
AIは、必ずしも正しい答えを持っているわけではありません。
私のことを完全に理解しているわけでもありません。
だからこそ、私はAIの分析をそのまま信じるのではなく、『この見立ては自分に当てはまるか』『違和感がある部分はどこか』『逆の可能性はないか』と考えています。
一方で、自分一人で考えていると、どうしても自分の経験や価値観の中で答えを出してしまいます。
そこでAIに、『反対の見方はないか』『自分の認知バイアスが入っていないか』『別の解釈はできないか』と聞くことで、自分の思考を一度外に出して点検できます。
私はこれを、『自分の思考の外部チェック機構』のように感じています。
今後も、私は自分の判断を発信する際は、『自分が正しいと思っているときほど、何か見落としていないか』を確認していきたいと思っています。
【おわりに】
今回、AIとの対話を通じて改めて感じたのは、『自分を知ることは、自分を否定することではない』ということです。
強みがある。
同時に、その強みが暴走すると弱点になる。
判断が速いから、遅い人に苛立つ。
構造が見えるから、見えない人を理解しにくい。
経験が豊富だから、経験則に依存する。
人間を現実的に見るから、可能性を低く見積もる。
論理を重視するから、感情を軽視することがある。
しかし、だからといって強みを消す必要はありません。
むしろ、『自分の強みが、どの場面で弱点に変わるのか』を知っておけばよいのだと思います。
そして、その弱点を全部自力で克服しようとしないこと。
直せるところは直す。
直す必要がないところは受け入れる。
一人で難しいところは、人や仕組みやAIなどに補ってもらう。
最近の私は、それくらいの方が現実的なのではないかと思っています。
AIを使って自分を分析することに、抵抗を感じる人もいるかもしれません。
けれど、私にとってAIは、自分の代わりに考えてくれる存在ではありません。
AIが正しいから使うのでもありません。
自分とは違う角度から問いを返してくれるから使っています。
自分の考えを映し、時には歪みを指摘し、別の角度から問い返してくれる鏡のようなものです。
最終的に判断するのは、もちろん自分です。
自分の考えを映し、時には歪みを指摘し、別の角度から問い返してくれる鏡のようなものです。
最終的に判断するのは、もちろん自分です。
ただ、自分一人では見えなかった自分に気づくための道具として、これからも上手に使っていきたいと思っています。
最後までお読みいただきありがとうございました。

この記事へのコメントはありません。