本日の要約
結論:家庭備蓄は「自分だけ助かるため」ではなく、家族・避難所・行政職員・地域の支援者を守るための備えです。
理由:災害時は行政職員や地域の支援者も被災者であり、各家庭が備えることで避難所への集中や支援現場の混乱を減らせるからです。
何をするか:今回は、家庭備蓄が進みにくい理由、在宅避難の意味、行政・地域・家庭の役割、備える人が損をしない防災について整理します。
ブログへの訪問をありがとうございます!
先月相次いだ地震を機に、何度も同じテーマで恐縮ですが、改めて在宅避難に向けた家庭備蓄のススメを書いているワタクシ。
本当は食料備蓄について書こうと思ったのですが、シリーズ(?)の中盤に入ったため、改めて家庭備蓄の必要性について書きます(本当にしつこくてすみません)。
今回も結構なボリュームで書いていますが、ギュッと要約すると、『家庭備蓄は、家族と地域を守る備えです』ということを書いています。
興味のある方はご一読ください。
では、行ってみよー☆
【防災は、行政サービスだけでは完成しない】
このところ、地震に関するニュースが続いています。
大きな揺れがあった地域の映像を見るたびに、改めて『自分の地域で起きたらどうなるのか』『自分の家族を守れるのか』と考えさせられます。
江東区でも、区政世論調査では、区政に期待することとして長年『防災』が1位に挙げられています。
それだけ、多くの区民が災害への不安を持っているということだと思います。
一方で、実際に各家庭でどのくらい備蓄が進んでいるかを見ると、まだ十分とは言えない現実もあります。
もちろん、これは誰かを責めたいという話ではありません。
仕事、子育て、介護、家計、住まいのスペースなど、それぞれの事情があります。防災が大切だとわかっていても、日々の生活の中で後回しになってしまうことは、誰にでもあると思います。
しかし、首都直下地震や南海トラフ地震、富士山噴火などのリスクが繰り返し指摘されている今、私たちはそろそろ、災害への備えを『行政が何とかしてくれるもの』としてだけではなく、自分と家族、そして地域を守るための生活の一部として考える必要があるのではないでしょうか。
今回の記事では、少し基本に立ち返って、家庭備蓄の意味について考えたいと思います。
この記事で伝えたいのは、家庭備蓄は『自己責任』ではなく、家族を守り、避難所を守り、地域の支援者を守るための備えでもあるということです。
【防災を『大事』と思っていても、備えは進みにくい】
多くの人は、防災が大切だと知っています。
大地震が怖いことも、避難所生活が大変なことも、水や食料が必要なことも、何となくは理解しています。
それでも、実際の備蓄となると話は別です。
水を何日分置くのか。
食料をどれくらい買っておくのか。
携帯トイレは何回分必要なのか。
使った後の携帯トイレはどこに保管するのか。
高齢の親の薬は足りるのか。
乳幼児のミルクやおむつはどうするのか。
マンションでエレベーターが止まったらどうするのか。
ここまで具体的に考えると、急に重たくなります。
考えれば考えるほど不安になるので、つい『その時は何とかなる』『行政や避難所がある』と思いたくなる気持ちもわかります。
災害対策が進まない理由は、単なる無関心ではないと思います。
むしろ、怖すぎるから考えたくない。
何から始めればよいかわからない。
置く場所がない。
お金もかかる。
家族の理解が得られない。
そうした現実的な理由もあるはずです。
だからこそ、備蓄していない人を責めるだけでは、防災は進みません。
必要なのは、備蓄を『特別な人がするもの』ではなく、自分と家族を守るための普通の生活管理として捉え直すことだと思います。
【行政に求める防災と、自分で備える防災】
私は、行政サービスを求めること自体を否定するつもりはありません。
子育て支援、高齢者支援、障害のある方への支援、教育、福祉、防災。
行政が整えるべきことはたくさんあります。
特に、災害時に一人で避難することが難しい方、医療や介護が必要な方、乳幼児を抱える家庭、障害のある方などに対して、行政が平時から支援体制を整えておくことは当然必要です。
しかし、ここで一つ考えたいことがあります。
『人を大切にする』とするなら、災害時にその人を守るための備えまで含めて考える必要があるのではないか、ということです。
子どもを大切にするなら、災害時に子どもが水分を取れるようにすること。
トイレを我慢しなくて済むように、携帯トイレを備えること。
停電しても不安が少しでも和らぐように、ライトや充電手段を準備すること。
食べ慣れたものを少しでも用意しておくこと。
高齢者を大切にするなら、仮設トイレに長時間並ばなくて済むようにすること。
薬や介護用品を切らさないようにすること。
避難所の床で寝なくても済むように、自宅で過ごせる可能性を高めておくこと。
障害のある方を大切にするなら、慣れない環境に追い込まれずに済むように、本人に合った備えを平時から考えておくこと。
つまり、防災は行政に求めるだけでは完成しません。
行政が整える仕組み、地域の支え合い、各家庭の備えがつながって、初めて災害時に人を守る力になります。
【避難所は『最後の安全網』】
江東区のように人口が多く、集合住宅も多い地域では、すべての人が避難所で生活することは現実的ではありません。
もちろん、自宅が倒壊した、火災や延焼の危険がある、建物に戻ることが危険である。
そのような場合は、迷わず避難所へ行く必要があります。
避難所は命を守るために欠かせない場所です。
一方で、避難所は『不安だから全員が行く場所』ではありません。
自宅が安全で、一定の備蓄があり、自宅で生活を続けられる人は、在宅避難をすることが重要です。
これは、行政が支援しないという意味ではありません。
むしろ逆です。
自宅で過ごせる人が在宅避難をすることで、避難所を本当に必要な人に使ってもらうことができます。
高齢者、障害のある方、乳幼児を抱える家庭、自宅を失った方、医療的な配慮が必要な方など、避難所での支援を必要とする人に、限られた場所や物資、人手を届けやすくなります。
避難所は、最後の安全網です。
だからこそ、自宅で過ごせる人が在宅避難を選び、その安全網を本当に必要な人に残しておくことが大切です。
【備蓄は『自分だけ助かるため』だけではない】
家庭備蓄というと、『自分の家族だけが助かればよいのか』と受け止められることがあります。
でも、私はそうは思いません。
家庭備蓄は、自分と家族を守るためのものです。
同時に、避難所を守るためのものでもあります。
行政職員や地域の支援者を守るためのものでもあります。
大きな地震が起きれば、行政職員も、災害協力隊や町会・自治会、マンション防災会、学校関係者などの地域の支援者も、同じ被災者です。
それでも災害時には、避難所開設、物資配布、トイレ対応、安否確認、清掃、苦情対応、情報伝達など、多くの役割を担うことになります。
もし多くの人が何も備えず、発災後に一斉に避難所へ向かったらどうなるでしょうか。
水がない、食料がない、トイレが使えない、充電したい、情報がほしい。
そのすべてが避難所や行政窓口に集中します。
すると、支援する側の負担は一気に増えます。
しかも、支援する人たち自身も被災者です。
家庭備蓄は、自分だけのためではありません。
避難所への集中を防ぎ、行政職員や地域の支援者の負担を減らし、本当に支援が必要な人へ支援を届けるための、地域全体への協力でもあります。
【『助け合い』を成り立たせるためにも備えが必要】
災害時に助け合いが大切なことは間違いありません。
だからこそ、助け合いを続けるためにも、それぞれができる範囲で備えておくことが必要です。
困っている人がいれば声をかけ、一人では運べない水を一緒に運び、高齢者の安否確認や子どもの見守りをする。
そうした支え合いは、災害時に大きな力になります。
しかし、助け合いは、誰か一部の人に負担を押しつけることではありません。
普段から備えていた人の物資を、当然のように『みんなで分けるべきもの』と考えてしまえば、備えた人ほど不安になります。
家族を守るために時間と費用をかけて準備したものを、災害時に当然のように差し出すことを求められたら、『それなら備えない方がよかった』と感じる人も出てしまいます。
それでは、社会全体の防災力は上がりません。
助け合いを否定するのではありません。
むしろ、助け合いを成り立たせるためにも、一人ひとりができる備えをしておく必要があります。
備えたうえで、余力がある人が助ける。
地域で共有する物資は、地域備蓄として別に整える。
個人の備蓄は、まず本人と家族の命を守るものとして尊重する。
この考え方が大切です。
『おたがいさま』は、誰かの善意だけに頼るものではなく、互いにできる準備をしたうえで成り立つものだと思います。
【備えていない人を責めるのではなく、備えやすい社会にする】
ここまで書くと、『備蓄していない人が悪い』と言っているように感じる方もいるかもしれません。
でも、私が言いたいのはそういうことではありません。
備蓄が進まない背景には、さまざまな理由があります。
生活に余裕がない、置く場所がない、何を買えばよいかわからない、家族の協力が得られない。
さらに、高齢や障害、病気などで買いに行くこと自体が難しい方もいます。
こうした事情を無視して、『備えていない人が悪い』と言うだけでは、何も解決しません。
必要なのは、備えやすい仕組みを作ることです。
たとえば、区が携帯トイレを配布する。
トイレガイドブックで使い方を伝える。マンション単位で備蓄の目安を共有する。
防災訓練で携帯トイレの使い方を実際に確認する。
高齢者や障害のある方へ、必要な備えをわかりやすく伝える。
子育て家庭向けに、ミルク・おむつ・食料・トイレの備えを具体的に示す。
水や食料も、一度に大量に買うのではなく、普段の買い物の中で少しずつ増やす方法を広める。
備蓄を『意識の高い人だけがするもの』にしてはいけません。
誰でも少しずつ始められる形にすることが大切です。
【まずは小さく始めればよい】
防災備蓄というと、完璧にそろえなければいけないと思ってしまいます。
水を何十リットル。
食料を何週間分。
携帯トイレを何百回分。
発電機、蓄電池、非常用リュック、家具固定、備蓄棚。
もちろん、備えられる人は備えた方がよいです。
でも、最初から完璧を求めると、多くの人は動けなくなります。
だから、まずは小さく始めればよいと思います。
水を1ケース多めに置く。
携帯トイレを1箱買う。
レトルト食品を数日分増やす。
モバイルバッテリーや懐中電灯、常備薬、家族の連絡先、マンションの防災ルールを確認する。
こうした一つ一つが、災害時の安心につながります。
特に携帯トイレは、在宅避難を考えるうえで非常に重要です。
水や食料は意識していても、排泄の備えは後回しになりがちです。
しかし、トイレが使えなくなると、生活は一気に厳しくなります。
江東区では、今年度、区民全員に一人15個の災害用携帯トイレと、1世帯1冊のトイレガイドブックを配布することになっています。
これはとても大切な取り組みです。
ただし、15個はゴールではありません。
1日5回使うと考えれば、約3日分です。
まずはその15個をきっかけにして、各家庭で少しずつ買い足していくことが大切です。
3日分から1週間分へ。
1週間分から2週間分へ。
可能であれば、下水道の復旧目安も踏まえて、さらに余裕を持つ。
一度に全部そろえなくても構いません。
でも、今日少し備えることはできます。
【子どもを守ることと、備蓄はつながっている】
子育て支援は大切です。
子どもを地域で支えることも、行政が子育て家庭を支援することも、必要なことです。
しかし、災害時に子どもを守るためには、家庭の備えも欠かせません。
大地震が起きたとき、子どもは大人以上に不安になります。
暗さ、余震、トイレの不安、食べ慣れない食事、親の緊張は大きなストレスです。
だからこそ、自宅が安全であれば、飲み慣れた水や食べ慣れたもの、使えるトイレ、暑さ寒さをしのぐ備えがあることは、子どもにとって大きな安心になります。
『子どもを大切にする』という言葉は、行政サービスを求めることだけではなく、災害時に子どもを不必要な危険にさらさない準備にもつながっているはずです。
【高齢者や障害のある方を守ることと在宅避難】
高齢者や障害のある方にとって、避難所生活は大きな負担になります。
床で寝ること、トイレまで歩くこと、慣れない環境で過ごすことは、身体的にも精神的にも大きな負担です。
薬や医療的ケア、食事、認知症への配慮が必要な方もいます。
もちろん、自宅が危険な場合は避難が必要です。
しかし、自宅が安全であれば、在宅避難できる環境を整えておくことは、高齢者や障害のある方を守るうえでも重要です。
そのためには、水、食料、携帯トイレ、薬、衛生用品、介護用品、連絡手段を、平時から確認しておく必要があります。
特にトイレは重要です。
避難所や仮設トイレに長時間並ぶことが難しい方にとって、自宅内で使える携帯トイレは命と尊厳を守る備えになります。
【行政の役割は、家庭備蓄を支えること】
家庭備蓄が大切だと言うと、『行政は何もしなくてよいのか』と受け取られることがあります。
もちろん、そうではありません。
行政には行政の役割があります。
正確な被害想定を示すこと。
避難所を整備すること。
物資を備蓄すること。
給水体制を確保すること。
災害時の情報発信を整えること。
福祉避難所や要配慮者支援を準備すること。
道路、上下水道、清掃、医療、福祉、教育など、関係機関と連携すること。
そしてもう一つ重要なのが、区民が家庭備蓄を進めやすい環境を作ることです。
何をどれだけ備えればよいのか。
なぜそれが必要なのか。
どこまで行政が担い、どこから家庭で備える必要があるのか。
在宅避難者はどこで情報を得られるのか。
物資はどこで受け取るのか。
携帯トイレを使った後はどう保管し、どう出すのか。
こうしたことを、平時からわかりやすく伝えることが必要です。
行政サービスを増やすことだけが防災ではありません。
区民が自分で備えられるように支えることも、防災政策の大切な役割です。
【備える人が損をしない防災へ】
これは、備えていない人を切り捨てるという意味ではありません。
備える人の努力を尊重しながら、備えにくい人を支える仕組みも同時に整えるという意味です。
私は、これからの防災では、備える人が損をしないという視点が大切だと思っています。
阪神淡路大震災や東日本大震災をきっかけに、防災備蓄の必要性は大きく向上しました。
平時から水や食料、携帯トイレをそろえ、家具を固定し、家族で話し合っている人がいます。
その努力は、本来きちんと尊重されるべきです。
備えている家庭が増えれば、避難所への負担が減り、本当に困っている人に支援を回しやすくなります。
備蓄は、個人の努力であると同時に、地域への貢献でもあります。
だからこそ、備えている人が不安にならないようにする必要があります。
個人の備蓄は、まず本人と家族を守るもの。
地域で共有する物資は、行政備蓄や地域備蓄として別に整える。
助け合いは、強制ではなく、できる人ができる範囲で行う。
この考え方を共有することが、防災への信頼につながると思います。
【災害を自分事にするために】
災害を自分事にすることは、簡単ではありません。
大きな地震の直後は『備えなければ』と思っても、時間が経つと日常に戻り、防災は後回しになりがちです。
だからこそ、防災を一時的な不安で終わらせず、生活の中に組み込む必要があります。
特別なことではなく、普段の買い物で少し多めに買う。
年に数回、備蓄を見直す。
家族で避難先を確認する。
携帯トイレを実際に一度確認してみる。
マンションや地域の防災訓練に参加する。
高齢の親や離れて暮らす家族と備えについて話す。
こうした小さな行動の積み重ねが、災害を自分事にする一歩です。
防災は、不安になるためのものではありません。
不安を少しでも減らすためのものです。
【家庭備蓄は、家族と地域を守る備え】
最後に、改めて書きます。
家庭備蓄は、自己責任論ではありません。
『備えていない人は知らない』という話でもありません。
行政の責任を軽くする話でもありません。
むしろ、行政の支援を本当に必要な人へ届けるために、各家庭でできる備えを増やしていくという考え方です。
家庭備蓄は、自分と家族を守るための備えであると同時に、避難所を本当に必要な人に使ってもらい、行政職員や地域の支援者の負担を減らすための備えでもあります。
災害時、行政も地域も支援します。
ただし、支援する側も同じ被災者です。
だからこそ、各家庭の備えが、本当に支援を必要とする人と支援する人の双方を守ることにつながります。
『人を大切にする』ことは、平時の行政サービスだけでなく、災害時にその人をどう守るかまで含めて考えることだと思います。
大地震が起きたとき、子どもを、高齢者を、障害のある方を、家族を、地域をどう守るのか。
そのために、私たち一人ひとりができる備えがあります。
まずは水を少し多めに。
食料を少し多めに。
携帯トイレを少し多めに。
薬や衛生用品を確認する。
家族で話し合う。
完璧でなくて構いません。
今日できることを、一つずつ増やしていくことが大切です。
【おわりに】
家庭備蓄は、家族と地域を守る備えです。
そして、備える人の努力が尊重され、備えにくい人を地域や行政が支えられる仕組みをつくることが、これからの防災に必要だと思います。
次回は、予定どおり在宅避難を続けるために欠かせない『食料備蓄』について、具体的に考えていきます。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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