地域とつながる大切さを考えてみる☆

本日の要約

結論:これからの地域づくりでは、人を縛る共同体ではなく、孤立を防ぎ、必要なときに支え合える“ゆるやかなつながり”を育てることが重要です。

理由:制度だけでは届きにくい困りごとがあり、人的資本・金融資本だけでなく、人間関係や信頼という社会資本が生活の安定を支えるからです。

何をするか:今回は、「地域でつながる」とは何か、なぜ自治体が社会資本を育てる必要があるのかを考えます。

ブログへの訪問をありがとうございます!

今日は、午後から助け合い活動連絡会の総会に出席しました。

夜は、アートパラのハートプロジェクトの方々と懇親会に参加する予定です。

 

さて、今回は、助け合い活動連絡会に参加した際に紹介した『地域でつながろう』ということについて書きます。

国を始め、『つながりづくり』というものはよく使われますが、改めて『地域でつながる』ということはどういう状態をいうのか、なんのために繋がる必要があるのかについて、持論をダラダラ書きたいと思います。

では、行ってみよー☆

 

【リニューアルしました☆】

そうそう。

最初に書かなければと思ったので、順番が変わってしまいますが、このたび江東区は地域活動紹介サイトのチラシを新しく作りました!

江東区は、江東区コミュニティ活動支援サイトとして『ことこみゅネット』というサイトがありますが、これが、なかなか周知されていないのです。

もとい、地域活動をされている方々の中でも『なんか聞いたことはある・・・かも?』程度の認知度で、せっかく地域でつながりづくりのきっかけがあるのにもったいないと常々思い、担当所管の課長に『もっと周知を図りましょうよ』と提案をしていました。

そんな中、先日、所管課長が『新たに地域のつながりづくりのきっかけを持っていただくため、チラシを作りました』という報告をいただきました。

それがこちらです(ジャーン)!

◆『やりがい』を伝えてみよう◆

サイトで情報を発信する団体用のチラシです(3人以上の団体で登録できます)。

◆『やりたい』を探してみよう

個人が地域活動を探す用のチラシです。

私がこのサイトやチラシを大事だと思うのは、単なる広報物だからではありません。

地域との小さな接点を増やすことが、これからの自治体にとって重要なセーフティネットになると考えているからです。

余談ですが、先日(土曜日)は公園で地域活動お手伝いをした際、個人向けのチラシを置かせていただきました。

また、今日は、助け合い活動連絡会にご参加いただいた方々に、団体向けのチラシを配りました。

たかが一人の普及活動ですが、まずは、一歩から☆

出会う方々に少しずつでも地域とのつながるきっかけを届け、本当の意味で『江東区は人情のまちだよね』と言われるような、人とひとのつながりを大切にできる地域になればよいなぁと願っています。

 

【生存戦略☆】

さて、ここからが本番ですが、そもそもなぜ私は、これからの時代に『つながり』が大切だと思うのか?について書きます。

・・・と言っても、昔のムラ社会的な『村の掟に背いたら村八分』みたいなものではなく、『人を潰さない共同性の再設計』というか、『地域がつくるセーフティネット』という感じの『生存戦略』という視点から大切だと考えています。

ただし、これは『全員が地域活動に参加すべき』という話ではありません。

必要なときに頼れる接点や、無理なく関われる選択肢を地域に増やすという話です。

 

現代社会は、表向きには自由で個人主義的です。

『自分で選べる』『自己責任で頑張れる』『能力があれば上がれる』という建前が主流になっています。

でも実際には、健康、家族、学歴、収入、住環境、情報アクセス、ケア責任、人間関係などによって、スタート地点も耐久力も全然違います。

だから、社会が『強い個人』を前提に設計されてしまうと、そこからこぼれる人が必ず出ます。

たとえば、高齢で家族が近くにいない人、ひとり親、障がいや病気を抱える人、非正規・低所得で余裕がない人、外国ルーツの住民、若くても孤立している人、介護や育児で社会参加しづらい人などです。

こういう人たちは、制度だけでは支えきれない局面が多いです。

行政サービスは重要ですが、行政はどうしても『申請主義』『要件主義』『窓口主義』になりやすいです。

つまり、困っている人が自分で困っていると認識し、制度を調べ、窓口に行き、書類を出し、審査に通る必要があります。

でも、本当にしんどい人ほど、そこまでたどり着けない。

そのときに必要なのが、地域の中の薄い接点です。

『あの人、最近見ないね』『ちょっと様子見てみようか』『この制度あるよ』『一緒に窓口行こうか』『子ども少し見てるよ』『お裾分けね』など。

こういう関係性は、制度とは別の生命線になります。

私の言う『地域でつながる』は、情緒的な理想論ではなく、制度が届く前のセーフティネットなんですよね。

それと同時に、私は『人は関係の外側にいる個人ではなく、関係の中で役割を持ち、その役割を通じて社会に参加していく』という考え方を持っています(地方議員という立場だからこそ、その感覚が強く出ているのかもしれません)。

 

【3つの資本】

とはいえ、私自身、『区民の方々は、みな地域とつながるべき』という考えは持っていません。

作家の橘玲氏の議論を参考にすると、私たちが生きるうえで頼る資本は、大きく人的資本・金融資本・社会資本の3つに整理できます。

人的資本:自分の能力、健康、知識、稼ぐ力(教育、リスキリング、就労支援)

金融資本:お金、資産、貯蓄(給付、減税、補助金、資産形成)

社会資本:人間関係、信用、共同体、ネットワーク(絆・承認・助け合い)

ここでいう社会資本は、道路や施設ではなく、人間関係、信頼、助け合い、地域のネットワークのことです。

現代の政策議論は、人的資本と金融資本に寄りすぎています。

でも、格差が拡大する社会では、人的資本も金融資本も持ちにくい人が出てきます。

そこで社会資本まで失うと、生活の立て直しが一気に難しくなります。

逆に、所得が低くても、地域に顔見知りがいる、助けを求められる相手がいる、ちょっとした役割がある、信用されている、居場所がある。これだけで生活の安定度は大きく変わります。

つまり、地方自治が本気で住民の生活を支えるなら、福祉や給付だけでなく、社会資本をどう育てるかを政策の中心に置くべきで、自治体は道路や施設だけでなく、人と人の関係性というインフラを整備する主体にもなれると思うのです。

金融資本のある人は、金融資本に頼って生きていけばよいし、人的資本のある人は人的資本に頼って生きていけばよい。

その両方を十分に持ちにくい人でも社会資本に頼れるよう、行政は環境整備をする必要があるのではないか?というのが、私の考えです。

 

3つの資本論は、格差を考えるうえでも有効です。

一般的な格差論は、所得や資産に注目します。つまり金融資本の格差です。

でも実際には、格差はもっと複合的です。

・教育格差・健康格差・雇用格差:人的資本の格差

・孤立・無縁・家庭環境・地域差:社会資本の格差

・所得・資産・住宅・相続:金融資本の格差

この3つが絡み合って、人生の不利が積み上がる。

だから、地域政策としては『お金を配れば終わり』でも『努力して働け』でも足りない。

必要なのは、以下の3層の支援です。

金融資本が少ない人にも生活の安全を。

人的資本を発揮しづらい人にも役割と機会を。

社会資本を失った人にもつながりを。

一覧にするとこんな感じです。

同時に、人は他者との関係性なしには生きていけません(例えば食事の確保について店で食糧を購入したり、衣料店で服を購入して着たりと、誰かしらの力を活用して生きていますよね)。

このように、何を資本として生きていくかは個々の自由だと思いますが、少なくとも『社会』を無視しては生きていけないと思うのです。

そして、江東区など地方自治が最も独自性を出せるのは、この社会資本を制度として育てる部分であり、だからこそ、行政はこの環境づくりに力を入れることが必要だと感じています(江東区は地域福祉計画にしっかり入っています)。

地域の社会資本は子どもや若者の人的資本を育てる土台であり、孤立家庭を支え、学校外の大人との関係をつくり、将来の可能性を広げる環境づくりを後押しできるのは、行政だと思うんですよね。

 

【役割の大切さ】

ここでいう役割は、義務や同調圧力ではなく、本人が選べて、試せて、合わなければ降りられるものです。

人は、孤立した個人として完成するのではなく、関係の中で役割を担い、その役割を通じて承認・有用感・信頼・自己形成を得ると私は思っています。

そのため、孤独孤立や過剰な自己責任社会への対抗策は、『個人をもっと強くすること』だけではなく、『人が自然に役割を持てる社会構造をつくること』にあります。

人は、助けられるだけでは尊厳を保ちにくく、誰かを助ける側にも回れたときに、社会の一員だと感じやすいのだと思います。

ここのポイントは『自発的に地域の中で何らかの役割を持てること』です。

人は関係の外側にいる個人ではなく、関係の中で役割を持ち、その役割を通じて社会秩序がつくられます。

役割が圧力にならないよう配慮しながら、区民の方々が『地域と繋がったほうが良いな』と感じてもらえる環境を構築することが、大切だと思うんですよね。

 

【守破離のマインド】

ここで言いたいのは、地域の役割は人を型にはめることではなく、人が自分なりの関わり方を見つける入口になるということです。

現代的な個人主義では、『自分らしさ』は最初から内側にあるもののように語られがちです。

『ありのままの自分』『自分の好きなことをしよう』『自分軸を持とう』などは、もちろん大事です。

でも実際には、多くの人は最初から自分らしさなんて明確には持っていないわけで。

むしろ、家庭での役割、学校での役割、職場での役割、地域での役割、誰かに期待される経験、誰かの役に立った経験、型を学ぶ経験、失敗して調整する経験を通じて、自分が何者かを少しずつ知っていく。

これはまさに守破離です。

最初は『守』。

地域の作法、仕事の作法、人との関わり方、公共の場での振る舞いを学ぶ。

次に『破』。

既存の型に違和感を持ち、自分なりに変えていく。

最後に『離』。

単なる同調ではなく、自分の役割を自分の言葉と方法で引き受けられるようになる。

この観点から見ると、『役割』は個性を潰すものではありません。

むしろ、良い役割は個性を育てます。

ちなみにこれを実践する上で注意としては、役割に重きを置くあまり、役割が固定され、選べず、逃げられず、更新できないようにしないことです。

役割を固定するのではなく、役割を通じて人が成長し、やがて自分なりの関わり方を獲得できる仕組みをつくることができたら、それは区民の方々にとって『住みやすいまち江東区』になるのではないかなと思います。

 

【おわりに】

一人ひとりの自由を尊重しながらも、困ったときに完全に一人にしない地域をどうつくるかが問われています。

人は権利主体でありますが、同時に、関係的存在でもあります。

人は自由であるべきだけれど、自由は支え合いの基盤なしには成立しにくい。

ここが、私の構想の中心だと思います。

近代社会は、個人を解放し、家制度、村落共同体、身分秩序、家父長制、同調圧力から個人を自由にしました。

それ自体は大きな成果ですが、その副作用として、今度は個人が丸裸で市場や競争に晒されるようになっています。

つまり、古い共同体は、人を縛ったけど、現代の個人主義は、人を孤立させたわけです。

その前提の上でどうするかを考えたとき、『個人の自由を守ったまま、関係性を再構築する』というのが、私の中では今のところ最適解になっています。

 

孤独孤立の背景には、単なる交流不足ではなく、地域社会の中で役割を持てないことによる存在承認の喪失があります。

そのため自治体は、住民を支援の受け手としてのみ捉えるのではなく、一人ひとりが小さな役割を持ち、互いに支え合う関係性を育てる必要があります。

その際、役割は押し付けるものではなく、選べるもの、試せるもの、降りられるもの、更新できるものとして設計しなければなりません。

これは、個人を否定する共同体主義ではありません。

個人の自由を守りながら、誰かに支えられるだけでなく、できる範囲で誰かを支える側にもなれる地域をつくることだと思っています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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