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今日は、会派勉強会としてえこっくる江東を訪問し、ごみ問題について学びました。
昭和40年代に始まったごみ問題を始め歴史的背景について記載しているため、ボリューム満載となりますが、お時間のある時にご一読くださいませ。
また、お忙しい中ご対応いただいた、環境清掃部清掃リサイクル課小菅課長には感謝の気持でいっぱいです。
江東区のこれらの歴史を風化させないために、わかりやすく説明していただいたことを区民の皆様にお伝えできるよう頑張ります☆
【歴史:ごみ戦争】
江東区の環境と言ってまず思い出すのは、『ごみ戦争』です。
当時の状況とその後の経過については、風化させないため復習も兼ねて今一度まとめます。
江東区とごみとの関わりは、江戸時代に江東区の地先がごみ処理場になってから今に至るまで密接に続いています。
『ごみ戦争』宣言のきっかけとしては、昭和39年9月に東京都からの15号地(現在の若洲地))にごみを埋め立てたいとの要請に対し、江東区は都内清掃工場が完備される昭和45年まではやむを得ないとして埋立処分場の建設を了承しました。
その後、東京都は、なんだかんだと理由をつけながら埋立地の利用延伸を要請してきましたが、これに対して、長年ごみ公害に苦しんできた江東区は、『江東区議会ごみ投棄反対対策委員会』を発足させ、区・区議会・住民が一体となって大規模なごみ投棄反対の運動を展開しました。
このような背景を基に、東京都知事は、昭和46年9月28日に『今、ごみ戦争を宣言し、徹底的にごみ対策を進めたい』と、ごみと戦う『ごみ戦争』を宣言したのです(くどいですが、東京都知事は対立構造を煽る形で『ごみ戦争』と言ったわけではなく、『迫りくるごみ問題をどう乗り越えるか?』という問題提議の意味合いで『ごみ戦争』と表現したと解釈されています)。
江東区はごみ戦争宣言の翌日、東京都知事と22区に対して『ごみ投棄反対に関する公開質問状』を提出しました(自区内処理の原則と迷惑負担公平の原則についての質問)。
さらに、ごみの終末処理を江東区に押し付けている現状を打開するためには、実力行使をもってごみ運搬車を阻止する以外方法はないと考え、実力行使を宣言しました。
実力行使について、1回目は昭和47年12月に起きます。
東京都の計画した積み替え基地が地元住民の反対により杉並区で設置ができなくなったことに対し、12月22日に、15号地入り口で区長並びに区議会全員で杉並区からのごみ運搬車を実力阻止しました。
この行動が大きな反響を呼び、その結果、杉並区内での積み替え基地の建設が実現するとともに、ごみ問題が都民生活にとって重大かつ身近な問題として取り上げられることとなりました。
当時の写真を観ましたが、区長自ら先頭に立ち、ヘルメットを被りながら搬入阻止している様子は強いインパクトがありました。
その後、2回目の実力阻止も杉並区の清掃工場建設問題に関連した東京都の約束不履行や地域エゴへの反発から起こりましたが、東京都知事が現場に入り一時中断ということがありました。
文章で書くと“江東区って、実力行使したんだ…”というイメージを持たれたかもしれませんが、江東区の実力主義の意義は、杉並清掃工場の建設用地が決定されたことに止まらず、ごみ問題に対する都民の深い関心を喚起する導火線となった事実があります。
そして、この実力行使は、終始、区及び区議会が主体となって展開するとともに、区民のエネルギーと深い理解が世論の支持と協力を生んだと言われています。
その後、中央防波堤外側埋立地処分場の建設に続く新海面処分場建設計画の際には、東京都の不誠実なやり方の抗議として再度ごみ戦争が起こる可能性もありましたが、何度も話し合いをした上で、江東区議会は23区民のためとの大局的視点に立って苦渋の決断による『大枠で了承』との意見をまとめ、東京都に伝えました。
このように、江東区は、東京ごみ問題に真剣に取り組み、その解決に向けて最大限の努力を尽くし、最大限の貢献を果たしてきました。
【その後の流れ】
清掃事業の区移管については、平成12年4月の都区制度改革の実現により、特別区は一般廃棄物の収集・運搬・中間処理焼却など・最終処分の全てに責任を持つことになりました。
とはいえ、清掃工場のない区もある中、決まったからといってすぐに実現することは困難なため、暫定的な措置として、中間処理及びし尿の下水道投入については、23区で一部事務組合をつくり共同処理することとなりました。
その間、中間処理のあり方の検討が行われ、平成15年11月に共同処置体制の継続と合わせ、23区間の中間処理に係るアンバランスを是正するための検討を行っていくことが区長会で確認されました(工場の場所と規模に関する是正)。
その後、是正の取り組みとして、平成20年3月には、一定の処理基準を超えたごみ量を金銭による負担の対象とする調整措置を、一部、例外的、限定的に行うことが決定され平成22年度から施行、多くのごみを請け負っている江東区は2億円近くを交付金という形で受け取ることとなりました(その後、令和2年に計算方式が変わり、交付金は約半額程度に減額されています)。
負担の公平に向けては、金銭による調整に加え、23区全体で更なるごみの減量とリサイクルの推進に取り組むとし、江東区を始め各区で努力しています。
【その他】
ほか、中央防波堤埋立地については、長年にわたり帰属が決まっていませんでしたが、最終的には都の調停を不服とした大田区の提訴により東京地方裁判所において争われることとなり、令和元年9月の第一審判決では、地積割合江東区79.3%、大田区20.7%とされました(江東区の主張が十分に反映されたとは言えない状況でしたが、大局的見地から受け入れた)。
【現在の課題】
平成7年に竣工された有明清掃工場、平成10年に竣工された新江東清掃工場については、稼働年数に限界が来ている状況ですが、現在23区の清掃工場の改修・改築計画を1年先送りにすることが決まりました。
これは、23区のごみ量を推測して全体の規模を踏まえた上で建てる計画ですが、検討段階で『もう少し議論が必要ではないか?』という意見が出たことを受けて検討を継続するものです。
これに関連する記事がこちらにわかりやすく説明が出ていますが、検討の前提として地域間のアンバランスを是正する観点から、大田第一清掃工場を廃止し、新江東清掃工場の焼却炉を縮小するとなっています。
また、今後、効果的なごみ減量策を検証する考えで、家庭ごみの有料化も含めた検討に入るとしています。
これ、1年先送りにより、老朽化による故障のリスクやメンテナンスにかかる費用と手間もかかります。
環境負荷の低減に取り組むことはもちろんですが、これ以上先送りがないよう、しっかりと議論を進めていただきたいと願います。
【過去の歴史への理解と未来に向けた取り組み】
このように、江戸時代から現在に至るまで、江東区はごみ埋め立てという歴史が続いていますが、だからこそ、江東区は東京のごみ問題に真剣に取り組み、その解決に向けて最大限努力し、多大な貢献を果たしてきました。
23区のごみ処理量は徐々に減少していますが、江東区の負担が軽減されたと言えるほどの減少とはなっていません。
江東区としては、これからも清掃負担の公平が進むよう、他区に対しても江東区の歴史への理解を深めてもらうと同時に、ごみの減量とリサイクルの推進を働きかけるとの説明を受けました。
最後に、清掃リサイクル課の小菅課長より、区民の皆様へのメッセージを預かりましたのでご報告します。
江東区は、ごみの歴史と深い関係があるため、この江東区のごみの歴史を風化させないよう、引き続き周知を行いながら、率先してごみの減量・リサイクルに取り組んでいます。
とはいえ、ごみの減量については区民の皆様のご協力なしには実現できません。
現在、ごみの分別を始めご協力いただいていることに感謝しつつ、引き続き皆さまのご協力の上、ごみ減量やリサイクル推進を進めてまいります。
また、最近川口市の清掃工場でリチウムイオン電池が原因と思われる事故(火災)があり、ごみ収集が一時ストップしましたが、事故があると皆さまの生活にも大きな影響が出てしまいます。
どうぞ、電池を使ったごみの廃棄時は、今一度、電池を抜いているかの確認など、適切なごみの分別をよろしくお願いいたします。
今回、江東区が大局的視点に立ち、東京都のごみを自分事として考え対応してきた歴史を、あらためて課長から説明を受けたことで、先人の取り組みに感謝すると同時に、江東区に住んでいることを誇らしく感じました。
同時に、先人の努力を風化しないよう、そして、持続可能な環境を構築するため、これからもちょっとの工夫や手間を惜しまず、環境に優しい取り組みを行っていこうと感じました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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