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今回からは、昨今国や東京都で話題になっている『育児対策』について、地域にできることの視点で書きます。
『子育て』に関して地域で必要なこと
最近『少子化対策』や『子ども(支援)対策』というと、どうしてもお金の議論になりがちですが、“どうも金銭的だけの問題ではないのではなく、金銭的支援も必要だけど、同時に、社会全体で子どもをサポートする環境というものも同じくらい必要なのではないか・・・”というのが、私の仮説です。
むしろ、金銭的支援の仕組みは国や都道府県が中心となって行い、区市町村レベルの自治体は、むしろ『子どもがのびのびと育つことのできる地域づくり(環境づくり)』のソフト面に力を入れることが必要だというのが、私の主張となります。
そんなわけで、まずは『育児』というものについて、子どもをたくさん産み育てていた昔を知り、現代との差異から何をどうすればよいのかを考えてみました。
昔の子育ては親だけの役割ではなかった
これは70代後半の方の話ですが、昔の農村って両親は朝から働きに行くのが当たり前で、子どもの世話はおじいちゃんおばあちゃんがしていることが当たり前でした。
都市部に住んでいた方々は、ご近所の家と協力し合いながら子どもを育てることが当たり前で、まさに、「地域で子どもを育てる」という感覚だったと聞きます。
このように、親は子どもの全てを担うことがなく、困ったときには身近に頼れる人がいる環境だったわけです。
それが、高度経済成長期の1960年辺りから団地化が進むことで、核家族化していきます。
それにより、お互いの家を行き来するやり取りや、家庭のことを相談するような関係性は薄れていきました。
その後、1986年に男女雇用均等法などにより女性も社会で働くことが当たり前となっていく状況で、ますます『ご近所づきあい』は薄れ、かといって、親自身も仕事と家庭と育児と介護などを自分達だけで担うことが難しくなっていく時代に突入します。
そして、ちょうど良い具合にコンビニエンスストアや深夜まで営業のスーパーなどが普及し、親が子どもに提供する『食事』は補完され、塾が普及することで『教育』の補完がされます。
つまり、1980年代は親の困っている部分を地域がカバーしてきた時代から、市場がカバーする時代への転換期であり、振り返ってみると、この時代は、ある意味家族もバラバラになり始めた時代かもしれません。
その後、1990年代に入るとインターネットの普及が始まり、2003年には個人情報保護法などが成立したりして、より孤立化は進んでいきます。
また、1992年にはバブル崩壊があり、第二次ベビーブーム世代は結婚をする余裕のある人は少なくなり、より『子育て』というものを経験する人は減り続けます。
核家族化や孤立化の何が問題なのか?
核家族化が出産・育児に与える影響で一番の悩ましさは、『成長過程に赤ちゃんや育児というものに接したことがないことによる不安』だと感じています。
これは私自身の恥ずかしい経験ですが、私は新興住宅街で育ったため、身近に同年代の友達はたくさんいましたが、小中学校時代に『赤ちゃん』と接する機会はほぼありませんでした。
そのため、結婚1年後に子どもを授かったわけですが、その時、正直『どう妊娠期を過ごせばよいのか?』『子どもってどうやって育てるの?』という知識が皆無でした。
当時はすでにインターネットが普及していたし、様々な育児に関する書籍も溢れていたため『正しい』育児に関する情報には事足りなかったのですが、これが落とし穴なのではないかと、長男が成人した今、振り返って私は感じるのです。
つまり、真面目な人ほど、どこかのお偉いサンの『正しさ』を忠実に守ろうとしてしまい、苦しんでしまうのです。
育児に関する情報も書籍も、しょせんマニュアルに過ぎません。
そして、当たり前ですが、子どもは小さい人であるから、マニュアル通りになんていくわけがない。
第一子出産後に育児本を2冊ほど読んで、マニュアルにビビった私はそれらを読むことを辞めてしまい、高齢者や仕事関係の先輩に育児のノウハウを享受したのですが、それでも、保育園の先生と朝のやり取りをする時に、『責められたらどうしよう』『何か言われるんじゃないのか』という不安は常にありました。
上の子には申し訳ないのですが、育児を楽しむ余裕なんて、私は皆無でした。
地域や社会の環境はどう変化したか?
社会のニュースを観ていると、育児に関する痛ましいニュースが日々流れます。
それを煽るように○○評論家様が、『いかにも』的な講釈を話され、SNSでは子育てに関する厳しい意見も散見されます。
おまけに、プライバシー保護などの設立により、個人への介入はしにくくなっている他、2004年には、児童虐待を受けたと思われる児童に対しての通報義務が規定されています。
これらをみる限り、今の社会というのは子育てを頑張っている親子を評価し『監視』しているように見受けられます。
一方で、私は江東区内にあるたくさんの地域活動団体の方々と接していますが、総じて皆さんが話されることは、『なにか自分にできることがあれば手伝うよ』なんです。
つまり、『社会』の子育てに関するイメージや状況と、『地域』のなかでの個々が持っているイメージや状況は違い、地域には子育てに協力したいと考えている人はたくさんいるということです。
これこそが、下町人情の良さで江東区の強みだと私は思うのです。
同時に、これらのあたたかい気持ちを持った方々と、実際に子育てで悩んだり苦しんでいる親子とをつなげるための仕組みや仕掛けが必要なのではないかと思うわけで。
そのための環境を整えるのが行政の役割であり、条例で仕組みをつくったりするのが区議会議員の役割だと思うのですよね。
思わず長くなってしまいましたが、次回も引き続き子育てについて書きたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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